2020/5/5: 主任司祭からのメッセージ
津久井教会の皆様、ご復活おめでとうございます。
このたび長澤神父様の後任として就任しました山田宏亨(ヒロユキ)と申します。どうぞ宜しくおねがいいたします。
しかし、残念ながら今日本は新型コロナウイルスの流行により、教会活動も大きく制限され、共同体としてのミサが捧げられない日々が続いています。いつまでこのウィルスの流行が続くのか不安の中過ごされておられるかたも多いと思います。
ところで、パウロは以下のように語っております、
・『霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません』(ガラテヤの教会への手紙 5:18)
・『霊に導かれて生きているあなたがたは、互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです』(ガラ6:1)
私たちはこれまで当たり前のように毎週教会に集まり共同体としてミサを捧げてきました。地上を旅する教会の民としてこれは最上の祈りです。
でも、これは物理的、目に見える形での祈りということもできます。その意味では秘蹟的な祈りということができるかもしれません。もちろん教会の建物自体は今でもこの津久井の地に存在していますが、それゆえに皆で集まれないことが余計に淋しくつらいことでもあります。
そんな私たちにとって上記のパウロの言葉は、今の私たちに向けられた言葉ともいえるかもしれません。わたしたちは、この世を歩んでいながらも本国は天国なのであり、「“霊”に導かれて生きている」霊的な存在です。ですから、今私たちが過ごしているこの時間は、このことを改めて深く黙想する機会ででもあるのではないでしょうか。ミサに集まることができない今こそ共同体として「霊による一致」を深める恵みの“時”でもあるかもしれません。
そうすることによって、
『キリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができる』のであり、
(エフェ 2:18)
『平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つ』(エフェ 4:3)ことが実現できるのではないでしょうか。
教会のみなさんがそれぞれの場所で、「主の祈り」や「めでたし」を唱えるとき、「ロザリオ」を唱えるとき、または聖書を読むときに個人の祈りとしてではなく共同体の祈りとして捧げるならば私たちは霊的に一致して同じ“時”を過ごしているといえると思います。
「Stay Home」は、世間では家で“じっとしている”という意味かもしれませんが、私たちにとっては聖なる“動”の時間でもあります。そうして再び教会で空間も共有して祈れる日を待ちましょう。
みなさんとみなさんにつながるすべての人の上に神様からの祝福が豊かにありますように。
イエス・キリストによって。
カトリック津久井教会主任司祭
山田宏亨(ヒロユキ)